失明とは、外部情報の8割を失うこと

額でものを見る。その言葉が何を意味するのか、すぐに理解できる人は殆どいないでしょう。たとえば、指先で触れることで文字を読む点字。いうなればこちらは、指の触覚を使い、ある種の記号を“読む”ということ。対して“額でものを見る” 「オーデコ(AuxDeco)」とは、カメラで捉えた映像の輪郭を電気信号に変え、その情報を額の触覚で読み取るシステムをいいます。
ある研究報告によれば、人は、外部情報の8割以上を視覚から得ているといいます。つまり、目が見えないということは、外部から得られるはずの情報を8割以上もカットされるということ。視覚障害者が“情報障害者”ともいわれる所以です。その失われた視覚情報を補うために、これまで最も有効とされてきたのが手指の触覚。たとえば健常者が目隠しをされて歩かされた時、前方の情報を得るため無意識に手をかざすのもそのためです。しかし、目の前にあるのは安全なものとは限りません。

触れてはいけないもの、触れたくないものも、触れないことにはわからないのです。つまり、「額でものを見る」とは、目の前にあるものを「触れずに認識」できるということ。視覚障害者にとってその言葉は、計り知れないほど大きな意味をもつのです。
「とてもおもしろいアイデアだけど、それはまず無理ね」。 2005年2月。イタリアのピサで行われた触覚研究者による会議の合間、「オーデコ」の構想を熱く語る菅野さんに対し、イギリスから来た全盲女性の研究者は即座に答えました。
「ショックでしたね。その時はまさに言葉を失いました (笑)。続けて彼女は『敏感なのは指先であって、額の触覚はあまり感度が良くない。何かが触ったぐらいはわかるけれど、その形を識別するのはまず不可能』とも言いました。
たしかに、以前盲学校で聞いた話では、その敏感な指先の触覚を使う点字でさえ、読めるようになるには大変な訓練が必要とのことでした。統計的に見ると、日本の全盲者ですらすらと点字が読めるのはわずか1割程度。それぐらい難しいということです。でも、指先だってそんなに難しいなら、裏を返せば、額だって訓練すれば感じ取れるようになるのではないか。そう気付いて、その時は希望を捨てずに帰国しました」

心の目を開かれた、ある春の日

触れてはいけないもの、触れたくないものも、触れないことにはわからないのです。つまり、「額でものを見る」とは、目の前にあるものを「触れずに認識」できるということ。視覚障害者にとってその言葉は、計り知れないほど大きな意味をもつのです。
「とてもおもしろいアイデアだけど、それはまず無理ね」。 2005年2月。イタリアのピサで行われた触覚研究者による会議の合間、「オーデコ」の構想を熱く語る菅野さんに対し、イギリスから来た全盲女性の研究者は即座に答えました。
「ショックでしたね。その時はまさに言葉を失いました (笑)。続けて彼女は『敏感なのは指先であって、額の触覚はあまり感度が良くない。何かが触ったぐらいはわかるけれど、その形を識別するのはまず不可能』とも言いました。
たしかに、以前盲学校で聞いた話では、その敏感な指先の触覚を使う点字でさえ、読めるようになるには大変な訓練が必要とのことでした。統計的に見ると、日本の全盲者ですらすらと点字が読めるのはわずか1割程度。それぐらい難しいということです。でも、指先だってそんなに難しいなら、裏を返せば、額だって訓練すれば感じ取れるようになるのではないか。そう気付いて、その時は希望を捨てずに帰国しました」

以来、休みの日に構想を練り、物理サークルの仲間にも相談し、紆余曲折を経て辿り着いたのが、視覚の代わりに触覚でモノを見るというシステム。目の代わりだから、それに近い位置ということで、「額の触覚」を使うことに思い至りました。
「実際に試作機も作り、2003年には無理だと思っていた特許まで取れてしまいました。ただし、電気刺激が強すぎるなど改善すべき課題も多く、素人の限界を感じていたんです」

助っ人はロボット工学の世界的権威

そこで菅野さんが助けを求めて飛び込んだのが、バーチャルリアリティ、あるいはロボット工学の世界的権威で、当時は東京大学大学院情報理工学教授(現在は慶応大学に移籍)を務めていた、舘暲(たちすすむ)博士の研究室でした。

「そんなに偉い先生だとは知らずにコンタクトしたのですが、幸い、興味をもっていただき協力を得ることが出来ました。舘先生の研究室では、電気信号を使って指の触覚に図形などの情報を伝えるスマートタッチというシステムを研究していて、それを応用して作ったのが指の触覚を使った試作品の一号機です。

素人の僕にとっては最初から額をつかうイメージしかなかったのですが、研究者の常識で触覚を使うといえば、それは指のことを指していたんですね。
ですから最初は、額ではなく指の触覚を使った試作機を作りました。また、当時は東大の中でも産学連携、つまり大学の研究技術と産業界が一緒になって、世の中に役立つものを開発しようという動きが出ていたんですね。その流れで、アメリカ、オハイオ州にある大規模な医療機関クリーブランド・クリニックを紹介いただき、この一号機を持ってバイオメディカルエンジニアリングの先生を訪ねたんです。まずは、細かな表現を可能にした電気信号の緻密さを賞賛され、そのシステムを額で使いたいと話したら、彼は非常に驚いていました。そして、『もし、それを額に応用できるなら』と招待してくれたのが、その年の10月に行われるメディカル・イノベーション・サミットでした」

世界中から研究者が集まり、最新鋭の医療システムが発表されるというこのサミットまで、この時、残されていた時間はわずか4ヶ月。それからというもの、東京大学の舘研究室では連日連夜の急ピッチ作業が続いたそう。その結果、3カ月後にとうとう出来上がったのが、今度こそ正真正銘、「額」を使う感覚認識システムの試作品一号機でした。
「その一号機のテストを最初にお願いしたのが、千葉盲学校の生徒さんたちでした。テストは、目の前のホワイトボードに30センチ程度の棒状、あるいは三角などの黒いパネルを貼り付けて、その形を認識できるかどうかをチェックします。

今でも忘れられないのは、ある先天盲の青年がテストをした時のこと。最初、縦に棒を1本貼り付けると難なく彼は言い当てました。次にそれを横にすると『あ、棒を傾けましたね。今度は横です』。さらに棒を2本にしたり、十字においてみたりしましたが、彼は次々に当てるんです。今度は三角のパネルを置きましたが、これを認識するのはかなり難しい。少し時間はかかりましたが、しばらくして彼の口から出た言葉が 『僕、見えます。三角形です!』。だって彼は先天盲であり、 “見る”という経験をしたことがないんです。そんな彼の口から 『見える』という言葉が出た。それはもう、感激しました。自分がこれまでやってきたことは、間違いではなかった。本当の意味で僕に自信を持たせてくれたのが、その青年の『見え る』という言葉だったのです」
その後、メディカル・イノベーション・サミットにも無事出展。連日、多くの研究者やドクターが訪れるのはもちろん、マスコミにも取り上げられ、菅野さんは確かな手応えを感じることになります。

中山社長がオーデコを体験。菅野さんが手をかざすヘッドバンドの中央には小型カメラを内蔵。取り込まれた映像の輪郭を電気信号に変え、その情報を軽い電気刺激によって額へ送信します。額に感じるぴりぴり感を繋いで物体の形を認識。縦棒、横棒のかたちは難なくクリアした中山社長。菅野さんから「センスが良いですね!」とお褒めの言葉をいただくも、△の形には苦戦の模様!

一人でも多くの視覚障害者の手へ

サミットに出展した一号機から、改良を重ね、試作を繰り返し、五代目にあたるのが現在の「オーデコ」。一号機では、東芝のノートパソコンを使っていた本体も手帖サイズまでコンパクトになり、今では見た目もずっとスマートな印象に。
昨年の4月からは民間への提供が始まり、ようやく実用化の一歩を踏み出しました。そして、次なる大きな試練となるのが、視覚障害者への普及をいかにして高めるか、という課題。現在「オーデコ」を使用しているユーザーがどれほどいるのか、菅野さんに訪ねてみると、
「今のところ、全国で5人の方が使われています。正直なところ、そこから増やせないでいるのが実情です。普及が進まないのには、大きな理由が2つ。

まずひとつめは、今のところ税込で1台あたり126万円と非常に高額であることです。もちろん、我々としてもコストを下げる努力をしていますが、これもやはり数との勝負になるわけです。現在は100台という極少ないロットで製造委託しているため、コストが非常に高くなってしまう。何とか量産効果が出るところまで普及を高めないと、コストを下げることが出来ないのが現状です。国や地方自治体の助成金も期待されるところですが、前例のない製品であり、実績もまだこれからですから、認可が下りるのはまだ先になりそうです。ユーザー数を少しずつ上げて国に実績を認めてもらうには、今回シンシアルハートさんにご寄付いただいた国際全盲支援協会のように、まずは購入支援事業を行う民間の社団法人の存在が必要不可欠でもあるのです」
そして、菅野さんがあげるふたつめの理由というのが、使いこなすまでに時間がかかるということ。では実際にオーデコを使用した時、目の前の景色はどのようなイメージで伝えられるのでしょうか。
「たとえば我々は今、数億という画素数の非常に緻密な解像度でまわりを見ています。デジタルカメラでさえ、今は数千万画素という解像度をもつのを皆さんもご存じでしょう。ところがこのオーデコは、たった512粒の電極でものの形を表しています。

つまり、512画素ということですね。たとえば、駅のホームにある電光掲示板の粗さを想像してみてください。ただ、まったく見えない人にとっての情報ですから、ゼロから比べれば非常に画期的なことでもあるのです。それにあまり画素数を上げすぎると、今度は形を読み取ること自体が困難になってしまいますから。
実際、『オーデコ』をご利用いただくには、最低20時間のトレーニングを修了していただく必要があります。つまり、車の免許と一緒ですね。運転を習って免許を取得しない限り車は買えない、それと同じシステムです。また、指導するためのトレーナーも必要なわけですが、現在は8名のトレーナーが認定されています。こうした、利用に関わる一連のトレーニング、それに伴う認定トレーナーの育成などは、現在我々で行っていますが、いずれは支援団体さんに認定権を移したいとも思っています。こうした支援団体さんが普及に尽力していただければ、我々も開発に専念できて製品をさらに進化させることもできる。ただし今は、一人でも多くの方が使える状況にするのが先決。それが私に課せられた最も大切な使命でもあるのですから」

512粒の電極でものの形を表す オーデコ

もし今、目隠しをして白杖ひとつ持たされ、ひとり街中に放り出されたなら、私たちはどのくらい歩くことが出来るでしょうか?そうした「見えない」人たちが置かれた厳しい現実を、「見えている」人である私たちは、ほとんど「見ていない」というのが実状です。
ある春の日、バス停のポールを握りしめる一人の男の子の姿に、菅野さんが心の目を開かれたように、私たちもまた心の目を開き「見ている人」の一人となりたいものです。

・株式会社アイプラスプラス
・国際全盲支援者協会
東京都江東区一之江7-34-19-602
http://www.eyeplus2.com/