
「ところが、美容部員は化粧品を売るのが仕事。メイクの勉強をする機会はほとんど無かったんです。そんな時、美容部員のメイクアップコンクールというのがあって、入賞すると社内のプロヘアメイク集団から研修を受けられる得点があると知り、チャレンジしてみたんです。そして、なんと準優勝してしまった。こうして念願のヘアメイク研修を受けたわけですが、そうなるともう、気持ちが走り始めちゃってとまらない(笑)。会社を辞めて美容学校へ入るか、そのまま会社に残るべきか悩みぬきました。
そんな時にご縁があったのが、当時ロスで活躍していたヘアー・アーティストの喜田修二さん。ある方にご紹介いただいて、ヘアショーのため来日されていた喜田先生に会いに行ったんです。「メイクアップアーティストになりたいんです」そういう私に先生は、「それなら来月ロスでヘアショーがあるから、それに来なさい」って。突然の話でしたが、当時は若かったし迷いはなかったですね。『私、アメリカに行ってきます!』って、すぐに会社へ辞表を提出。とりあえず行っちゃえ!と、ロスへ飛んだんです」
「当時、最も大きなヘアショーと言えば6万人集まるNYショーでした。そして私がデビューしたのが、2番目に大きいロングビーチショー。4万5千人もの人が集まりました。そんな大規模なショーなのに、着いたらいきなり『はい、すぐリハーサルやって!』って。時差ボケするヒマもなかったですね(笑)。すでに何十人ものモデルがサロンで待っているんですが、まず肌を触らせてもらってびっくり。
外人モデルの肌のなんと乾燥していることか!しかも、硬くて長い産毛がびっしり。日本から持って行った化粧品は全滅。近くの化粧品屋に走って、ベタベタのコールドクリームを買って、それで何とかベース作りが間に合いました。環境で肌はこれだけ違うものなんだと痛感。いい勉強になりましたね」
「ヘアショーでは最終日に、チームごとにアーティスティックな作品を発表するんです。その時はものすごく大きくて派手なヘアを作るのですが、それに合わせてメイクもアーティスティックなもの考えなければならない。何枚も、何枚も、デッサンを描いて喜田先生に持って行くのですが、『ダメ』、『ダメ』の繰り返し。
私もネタがつきちゃって『もう、これしか浮かびません!』って出したのが歌舞伎メイク。そうしたら先生、『それいいじゃない、それをやろう』って。それでチームが獲得したのが、ベストステージアワードという素晴らしい賞。これが私にとってのメイクアップアーティスト・デビューだったんです」
「本当はロスに残ろうと思ったんです。サロンのお客さんに映画プロデューサーの方がいたので紹介してもらうことも可能でした。映画撮影のヘアメイクとして、トレーラー生活に入るのもいいかなと。ただし、そのためには永住権が必要だったため、実家に電話して相談したんです。そうしたら父親が『アメリカ人になるつもりか。許さん!』って(笑)。それであきらめました。帰国後は大阪を中心に活動していましたが、現在はメイクアップアーティスト検定協会の講師も務めているので、地元の北九州に拠点を置いて北海道から沖縄まで全国を飛び歩いています。
海外の仕事といえば、以前はアメリカが中心でしたが、今は何といってもアジア。香港や中国にはよく行きましたね。とくに中国はいま、人々の美容熱がとても高い。時代の奔流が大きく変わっていることを、肌でひしひしと感じます。」
「メイクの仕事は本来、裏方のお仕事。黒子だと私は思っています。皆さんが考えるよりハードだし、肉体労働なんですよ。正直、自分の顔なんて構っていられないです。もちろん、セミナーの時は失礼にあたらないよう、キチンとしておきますけど(笑)。今後のスキンケア講座では、まず基本となる肌の構造を理解していただきたい。そのあと、個々に美容法を考えればよいのです。
ご自身の肌を知り、美容に対する正しい眼差しができれば、あれこれ迷うことは少なくなるはず。それを決めるための座標軸をお伝えするのが私の役目。皆さんのお力になれるよう、精一杯務めさせていただくつもりです」